あるデンソー期間工のブログ

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善明製作所で働きます!その作業内容とは?

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善明製作所

デンソーに赴任して健康診断を通過し、無事入社し配属が決定しました。私の配属先は

 

善明製作所
ディーゼル噴射製造部
コモンレール工場

 

です。

 

この善明製作所では電子制御式ディーゼル燃料噴射装置の製造をしていて、愛知県西尾市善明町の山を削ったところに位置しています。 つくしが丘寮からはバス通勤となります。山を登ってアーチを潜って製作所へ入ります。

 

操業開始は1998年とデンソーの国内の製作所の中で一番遅く、そのため新しくてきれいな製作所との説明がありました。いよいよ期間工の仕事が始まります。

 

自職場の作業内容

善明製作所は1Fと2Fに別れていて、私が配属されたのは2Fのとある部署です。

 

その部署は大きくロケとクリーンルーム(CR)に別れていて、CR内は合理化ラインと手組ラインに別れています。CR内は上着を脱いで防塵服を着ての作業となります。

 

ロケで製品・部品を集めて洗浄してCR内に投入。CR内の合理化ライン、手組ラインで製品に部品を組付け後工程に流す、というのがこの部署の作業内容です。

 

ちなみに合理化ラインでは少品種の大量生産、手組ラインでは多品種の少量生産と使い分けがされていて、どちらのラインもそれなりに大変な作業です。

 

なお、CR内では油を使う作業が多いため、朝礼前にデルマシールドを手・腕に塗り、そこから作業に入ります。(後に大きな悲劇が私を襲います)

 

初めての作業

ここで私は最初の半年間はロケでの製品・部品の洗浄作業、その後半年間CRに入り合理化ラインでの部品組付け作業を担当しました。

 

ロケでの作業は始業後に台車のパレットに製品・部品を集める、そのパレットを洗浄機に入れ洗浄してロケへ投入。ロケから出てきた空パレットを台車に乗せまた製品・部品を集める作業の繰り返しです。

 

CR内での作業は合理化ラインに製品が流れていて、それに部品を組み付けていくというものです。ロケから洗浄・投入されたパレットから部品を取り製品に組み付ける、そして空になったパレットをロケに出すという作業です。

 

作業内容に特に問題はなく、順調に1年が経過して「これからしばらく期間工でやっていく」と決意します。この時にそう思うくらい、デンソー期間工は私には合っていました。

 

初めての交替勤務 

作業に問題はなかったものの、初めて経験する交替勤務はきついものがありました。交替勤務には独特の辛さがあります。善明では

 

昼勤 8:40~17:15
D勤 18:55~3:45

 

の2交替です。

 

残業が月平均で30時間くらいあったので、デンソー期間工としては理想的な勤務形態です。ただこの時は交替勤務についていくので精一杯という感じで、慣れるのに時間がかかった印象が残っています。

 

いや、交替勤務には慣れるということはなく我慢しているというのが正解かもしれません。夜勤時の肉体的・精神的な辛さは独特のものがありなるべくなら経験したくはありません。

 

結局私はデンソー期間工として6年間交替勤務をすることになります。まあこれも人生における有意義な経験だったと今では思うようにしています。

 

製作所でのいろいろな話

しばらくデンソー期間工を続けようと考えていた私にとって、職場の社員・期間工との会話は楽しいものでした。

 

リーマンショック後、ディーゼル噴射製造部は生産量が前年比7割落ち込み、200名以上の期間工が大安製作所へ移動した

 

・2009年3月に期間工の早期退職の募集があったが、それに応募した割合は大安製作所の期間工が一番多かった

 

・製造業で一番働きやすいのはデンソーだという声が多い

 

・善明製作所は1Fと2Fでは雰囲気が全然違う。1Fはやや緩く、2Fはキツイ

 

・幸田製作所は電子・半導体を扱っていて女性が多い

 

など、このような何気ない会話がとても楽しかったです。

 

大安おそるべしとみんなが言っていました。2009年4・5月にディーゼル噴射製造部から200名以上が大安に移動になったのですが、数々の悲劇・喜劇など多くのドラマがあったとのことw

 

また善明も1Fと2Fで大きく環境が変わるなど考えられませんが、両方経験した社員が雰囲気が全然違うと言っていたのも印象的でした。ちなみに私は2Fしか知りません。

 

当時はまだリーマンショックからの回復途上であり、世界的に不景気の状態でした。ディーゼル噴射製造部もようやくリーマンショックから立ち直るといったところです。

 

リーマンショックの影響があまりに大きかったか、当時の製作所内では社員・期間工とも生活防衛意識が高く堅実であったことを覚えています。

 

入社から半年して社員登用試験の案内も来ました。ただ当時はまさに社員登用氷河期です。期間工初心者の自分が合格できるとはとても考えられません。断りました。

 

このようにして私の期間工生活が始まりました。次回はつくしが丘寮での生活全般、お出かけ、金銭事情について回想します。