文化の道二葉館
大正時代に「日本の女優第一号」と言われた川上貞奴が居住していた和洋折衷の建物を、創建当時の姿に移築復原、文化の道の拠点施設として開館しました。
館内では文化の道のさまざまな情報を発信するとともに、川上貞奴に関する資料や郷土ゆかりの文学資料を展示しています。
文化の道二葉館へのアクセス
なごや観光ルートバス・メーグル「文化の道二葉館」より徒歩1分。
川上貞奴と福沢桃介
川上貞奴(かわかみさだやっこ)
日本の女優第1号。本名 小山貞。幼い頃に芸者置屋の養女となり、明治20年(1887)売れっ子芸者になって「奴」とよばれるようになりました。
明治27年(1894)に「オッペケペー節」で有名な川上音二郎と結婚。川上一座が興行のため渡ったアメリカ・サンフランシスコの公演で、女優「貞奴」として初めて舞台に立ちアメリカ各地で評判を得ました。
また、パリ万博で公演し、フランス政府から勲章を授かるなど、「マダム貞奴」として一躍有名になりました。
福沢桃介
大正期に電力王と言われ、木曽川水系に多くの発電所を建設しました。幼少から神童と呼ばれる秀才で、慶応義塾に進みます。慶応義塾での優秀な成績から福沢家に知られることとなり、福沢諭吉の次女ふさの婿となる為、福沢家の養子となりました。
川上は女優を引退後、福沢の事業パートナーとして、また自ら実業家としてこの二葉館で大正9~15年(1920~26)の6年の間暮らしました。
現存する唯一の川上の衣装と薙刀。
当時の室内の様子。
大広間
設計を担当したのは、この当時に新進気鋭の住宅専門会社として知られていた「あめりか屋」。大正当時としては驚くほどの電気装備がなされています。
ステンドグラス
「日本の電力王」福沢は川上と共にこの二葉館で数多くの政界人、財界人、文化人をもてなしました。当時このステンドグラスは電力についての格好のアピールとなったことでしょう。
2F
坪内逍遥と二葉亭四迷。その他名古屋の文学を生む土壌について。
城山三郎の書斎。
感想
オレンジ色の洋風屋根を持つ外観、螺旋階段やステンドグラスがある大広間と洋風の作りがあれば、和室・茶の間・書斎と和風の作りもあるまさに和洋折衷です。
当時福沢と川上はここで頻繁に政界人、財界人、文化人をもてなしていたのですが、それは大層立派なものだったと思われます。電気が煌々と輝いている、ステンドグラスが美しく光る、当時の人々には驚きだったのではと思います。
名古屋城から徳川園に至るこのエリアは文化の道と名付けられています。名古屋城、名古屋市市政資料館、文化の道二葉館、徳川園など江戸、明治、大正の趣を伝える歴史遺産が揃っています。ゆっくり散策したいですね。